怒とうの海外旅行5連発 in1995 
お女中時代
お女中の里ちゃん
1999年、私は関西の大きな島の温泉旅館で働いていました。
当時、島は1998年に明石海峡大橋が開通したおかげで大賑わい。それはそれは、こき使われた苦い経験ですが、宿泊客の予約がちょっと落ち込んだ時には、まとめて休みも取らせてもらえ、そうやって海外旅行に行く機会にも恵まれました。
なんと一年間に計5回!
海外旅行が好きな私でしたが、この年から、もはや“中毒”。
この年、最初の旅行は慰安旅行でサイパンです。
自己負担金が1万円課せられて希望者のみでしたが、何の迷いも無く申し込んだのは言うまでもありません。
 “バンザイ・クリフ”  Puntan Sabaneta(プンタン・サバネタ) 
バンザイクリフ
コバルトブルーの美しい海
ここで悲しい歴史が・・
通称“バンザイ・クリフ”。最北部の断崖です。
1944年7月7日に日本軍最後の玉砕突撃が決行され、翌日には追い詰められた日本人兵士や一般市民たちが次々と断崖から身を投げました。
ここは最北端で一番日本に近いところ。
アメリカ兵は制止したそうですが、みな「バンザイ」と叫んで海の藻くずと消えた。
今まで見た事のない吸い込まれるような青い美しい海。
こんな悲しい歴史があったとは想像すらできません。
 ハファダイ・ビーチ・ホテル 
ハファダイビーチホテル
ホテルのロビーで
日本人ばっかでした
プライベートプール
ホテルのプール
ホテルの前にはビーチも
慰安旅行とはいえ旅館は全面休館しないで2班にわけて出発しました。私は第1班。
後に私がこの旅館をリストラに遭うきっかけを作ったオカマの○本も同じ班でしたが満面の笑みで記念撮影もしています。

リストラであったため会社都合ということで失業保険をすぐにもらえたりもして、お金に困らない失業者でいい身分を味わえた。この後のスリランカに行くきっかけにもなったし。ありがとう、○本!お前が馬鹿で助かったよ〜!!

海好きの私はスーツケースにフィンやゴーグルを入れて持って行きました。
背中が真っ赤になるほどシュノーケルを楽しみました♪
が〜・・・
ホテルのビーチの底は巨大ナマコがゴロゴロ。
巨大やのなんのって・・・フットボールくらい。
( ̄_ ̄|||)グロテスク〜足の踏み場も無くて踏ん付けた友人が悲鳴を上げていた。
 サイパンは外国??  
ラ・フィエスタ・サンロケ
ショッピング
ハワイ・グアム・サイパンと日本人に人気のビーチは日本語も普通に通じるので、買い物するにも移動するにも困りません。
ブランド物には全く関心のない私だけど、やはり女なのでウインドウショッピングは楽しめました。
写真は“ラ・フィエスタ・サンロケ”
お洒落で楽しいショッピング・スポットです。
観光客の少ないオフ・シーズンでしたし、日本人ばっかりでちょっとさみしかったかも。
 何が起こるかわからない in外国    
海外ではハプニングは付き物。
今回のメンバーの中にもお母さんが亡くなられて、急きょ帰国された方もいます。
私も今回ではないですけれど、飛行機が飛ばなかったことが何度もあります。
ですので、ギュウギュウの日程を組まれる方は、それなりの覚悟もお忘れなく!
m(__)m
たいした写真もない旅行記でした・・・
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