写真が無いっ!!
写真で綴る旅の日記・・・
なのに今回はいきなり
写真が無いっ!!(>_<)
カメラもガイドブックも持っていったのに、写真を撮らずじまいだった。
肝心な写真を撮り忘れたりするところは、昔も今も変わりないようで(^^;)

韓流ブーム since 1994
とおるちゃんと友人と私
“とおる”ちゃんと
友人と私。
2004年頃から韓流ブームで盛り上がっているけれど、私と友人の間には、ずっと前の1994年に韓流ブーム、というより「嵐」が巻き起こっていた。
きっかけは、姫路にオープンした韓国人バンドの演奏が毎夜行われる「サパー」形式のお店。
知り合いのおじさんに連れて行かれて、もともと外国人と話したりするのが大好きな私は気に入ってしまい、次からは友人を“無理やり”誘って毎夜繰り出していた。
友人も最初は私に嫌々付き合わされていたのだけど、そのうち、自分からも行こうと言い出すようになってました。
ラウンジのような広いスペースのその店は、バンドマンが演奏しない時は客の席に着いたりしてくれて、まるでホストクラブのよう。
でもホストではなくバンドマンなので、擦れてない純朴な男性が多かった。
1回の飲み代も普通のスナック程度だったので、毎日行っても、さほど金銭的にもキツイ事はなかった。
そこの雇われ店長も、商売っ気がない良い人で、毎晩通う私たちを心配して、あんまり来るんじゃないよと、やさしく諭してくれたこともしばしば。

写真は“とおる”ちゃんと。ふざけて写真を撮ってます。
とおるちゃんは大阪でお店(カラオケスナック)を経営しています。

郭さん
姫路城をバックに〜郭さん&私&友人
郭さんと私と友人
今回、釜山に行くきっかへは、郭さんからの電話でした。
郭さんは故郷の釜山に帰郷していたのですが、1995年の神戸の大震災のニュースを見て、心配して電話をかけてきてくれたのです。
郭さんは、バンドではギターとボーカルを担当。
すごく真面目で、朝起きたら、店に行って、楽器や歌の練習を繰り返していました。
韓国人なのにキムチが臭いから嫌いで、天丼と鍋焼きうどんを好む変テコな韓国人男性。バンド以外のカラオケでは日本の演歌を好んで歌っていました。
韓国の儒教の教えもあってか、とても礼儀正しく、私が紹介した誰もが(男性でさえも)気に入ってくれました。
スポンサーの申し出も、頼んでも無いのに、よくされていました。

その彼と電話で話すうちに、韓国に行こう!と即決。
ひゃぁ〜初の「1人で海外」かもよ!?わくわくドキドキ♪


写真は姫路城をバックに
郭さんと私と友人。姫路城に登城したのはこれを含めて数回。
郭さんと、この時いたもう1人の韓国人は何度も登城したらしい。ちょっと恥ずかしかったかも。

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道中記
だれにでも話せる「1,000万人の海外旅行韓国語会話
買ったけど
全然使ってない
韓国語の会話本。
開港して間もない関空への道のりは遠かった。
何故なら震災で姫路→大阪の鉄路が絶たれていたから。
途中バスに何度も乗り換え大阪までたどり着きました。
神戸の惨状には心が痛みました。
私は旅行なので、ちょっとおめかししていましたが、私以外はほとんどリュック姿。後ろめたい気分。
大阪は神戸からわずかに離れただけでありながら、いつもの賑わいを見せていた・・・。

フライトは
大韓航空機。初めて1人でのチェックイン。
(日本国内だし、これくらいは、たいしたこともありませんね。)
そして機内へ。〜何故か日本人に見られないことが多い私です。
前から美しい客室乗務員がコーヒーをサービスしています。
韓国語と日本語で「コーヒーはいかがですか?」と。
ちょっとドキドキしながら待ってて、次は私の順番です。
美しい彼女は何故か英語で「Would you like coffee?」??(・A・)??
日本→韓国の機内で、私はいったい何人に見られたのかなぁ。
一応「イエ〜ス!」と答えておきましたけど。

釜谷温泉
るるぶ ガイドブック
一応は持っていった
ガイドブック2冊
釜山出身の郭さんの新たな勤務先は釜山郊外の「釜谷温泉」。もちろんバンドマンとしてです。
釜谷温泉は、ガイドブックにも載っていなかったし、当時はネットもしていなかったので、一応買っておいたガイドブックも役に立ちませんでした。
それに、ほとんどずっと温泉内にいたし。
釜谷温泉は、古びた温泉レジャーランドって感じ。
彼と、彼のバンドのリーダーの計らいで温泉内のホテルにタダで泊めさせてもらいました。
夜はホテルのディスコで彼等は演奏していて、私もこっそりお邪魔(^^♪
その当時は韓国人の間では長渕剛が大人気。
彼も「RUN」を歌っていましたが、それまでは韓国人相手だったので、私に聞かれるのを恥ずかしがっていました。
リーダーはリードボーカルでしたが、歌の上手さは半端じゃない。
もう聞き惚れてしまいました。今でも思うのですが、日本人に比べ、ほんのお隣の韓国人って歌唱力と声量がケタ違いですね。

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ほとんど思い出のない釜山
HPを作成するに当たって、一生懸命に釜山の記憶をたどっているのですが、どうにも思い出せない(^^ゞ 
最初の晩はバンドの演奏を聴いて、ホテル側が気を利かせて出してくれたビールで酔っ払った記憶がありますが、次の晩って何してたかな??
昼間はバンドのスポンサーだと言う会社経営の女性の運転であちこち連れていってもらったのは覚えています。
その女性は今度、バンドのメンバー全員の新しい楽器を買ってあげると言ってくれてると郭さんが通訳してくれました。
(郭さんはとても綺麗な日本語を話します。)
喫茶店に入ってコーヒーを頼んだら、インスタントコーヒーが出てきてビックリしたり、個室喫茶のようなところでウイスキーと牛乳を頼んで飲んだり。
その後
空港までの送迎は郭さんにしてもらいました。
正確に言えば、迎えはスポンサーの女性の運転で。
送りは郭さんとタクシーで。
その後、私も引越ししたり、電話番号も変わったりで、郭さんとは連絡をとれずにいます。
彼の実家の電話番号を聞いてるけど、日本語が話せないご家族が出てこれれたら、どうしようとか思ってるうちに月日が経ってしまいました。
(メールは好きなのですが、電話って今でも苦手なのです。)
今でもバンドマンしてるのかな。日本にいるのかな。
また会いたいな〜としみじみ思う今日この頃です。

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